こんにちは。
北海道で暮らしている、毎日料理を作っているChefです。
平尾辰夫さん。
ミュージカル「レ・ミゼラブル」や「ミス・サイゴン」の日本初演(製作東宝 帝国劇場公演)実現に向けて尽力し、両作のオリジナルプロダクションのサー・キャメロン・マッキントッシュ氏との信頼関係を育み、現在に至るまでの長期公演の礎を築いた方です。
ご病気の為亡くなられました・・・。
平尾辰夫さんは持病を患っていたそうですが、死因の原因について今回ご紹介します。
それではご覧ください。
平尾辰夫が死亡した原因は何?どんな病気を患っていた?
平尾辰夫さんとは?
プロフィール
名前:平尾 辰夫(ひらお たつお)
出身:和歌山県
自宅:東京都渋谷区
家族:妻/息子
経歴(略歴)
1955年に東宝入社。
1977年 ⇒ 演劇部長
1983年 ⇒ 取締役演劇担当
1988年 ⇒ 常務取締役演劇担当
1992年 ⇒ 専務取締役演劇担当を歴任し、長年にわたり東宝演劇を導いた。
演劇担当を歴任し、ミュージカル「レ・ミゼラブル」/「ミス・サイゴン」の日本初演(製作東宝 帝国劇場公演)実現に向けて尽力し、両作のオリジナルプロダクションのサー・キャメロン・マッキントッシュ氏との信頼関係を育み、現在に至るまでの長期公演の礎を築いた。
「風と共に去りぬ」や「放浪記」などで知られる劇作家、菊田一夫さんに評価されていた。
死亡した原因は?
脳出血のため死去
平尾辰夫さんは93歳でした。
脳出血のため、お亡くなりになりました。
和歌山県出身であり、葬儀は近親者で行ったそうです。
喪主は妻の平尾育子(いくこ)さん。
持病を患っていた?
93歳という年齢なので、これまでの人生においていくつかの病気は患ってきたようです。
今回の死亡の原因は脳出血ということでした。
なので、心筋梗塞や癌、肺炎などの疾患ではなかったようですね。
まとめ
平尾辰夫さんは脳出血のためお亡くなりになりました。
93歳でしたが、これまでにたくさんの経歴を残し、ミュージカルの日本初演実現に向けて、オリジナルプロダクションのサー・キャメロン・マッキントッシュ氏との信頼関係を育み、現在に至るまでの長期公演の礎を築いてきました。
平尾さんのこの功績は、いつまでも色褪せないものだと思われます。
日本の演劇界は大変惜しい人を失ってしまったものと感じられます・・・。
偉大な経歴を残してきた平尾辰夫さん、謹んでご冥福をお祈りします。
以上、koniirimonのおはなしでした!
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